映画『 ゆれる 』公式サイト  ※ネタバレ注意

監督・脚本:西川美和
出演:オダギリジョー  香川照之  伊武雅刀  真木よう子
   木村祐一  ピエール瀧  田口トモロヲ  蟹江敬三

川を渡りたいサソリとカエルがいた。
そこで、サソリはカエルに言う。

「絶対に刺したりしないから、君の背中に乗せてくれないかい?」

カエルはその言葉を信じてサソリを背に川を渡っていく。
川のちょうど真ん中あたりでカエルは背中に痛みを感じた。

「どうして!?約束したのに。それにこんなことをしたら君も一緒に沈んでしまうじゃないか。」

・・・サソリは言った。

「だって仕方がないんだ。これがオレの性(さが)なのだから。」


この映画を見終わって、まず浮かんだのがこの寓話。
ニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」のラスト。
ディルが刑務所に入ったファーガスにこの話を聞かせる。
なぜか「ゆれる」鑑賞後にこのサソリとカエルの話を思い出した。
『奪われる者』『奪う者』、それは「性」であって、それに反抗しようと、自分を変えようと抵抗しても、結局人間は「性」には逆らえない。
もちろんこの映画は人間の二面性を描いてもいる。
そんな二面性にあっち、こっちと主人公たちもゆれるが、根本となる「性」は変えようがないとこの映画は言っているのではないかと私は感じた。
田舎で家業のガソリンスタンドを継いだモテないが温厚で人がいい長男・稔(香川照之)。ずるいところもあるが都会的で魅力的なカメラマンの次男・猛(オダギリジョー)。
こんなにも違うが兄弟であるということの辛さ。
嫉妬、卑下、怒り。多少なりとも兄弟、姉妹がいる人なら誰もが一度は感じだことがあるのではないかと思う。
それでも兄弟であり、家族であり、この繋がりは永遠なもの。
「ゆれる」を観た人たちの間では、バスに乗ろうとしている稔が追いかけてきた猛になんともいえない顔で笑いかけるラストシーンのとらえ方が議論されているようだが、私はバスに乗らなかったと思う。
兄の稔はどんなときでも手を差し伸べる優しい「性」の持ち主なのだから・・・・。



全くもってオダギリジョーに興味がなかったわたし。
かっこいいとも思ったことがなかったし、正直、トーク番組で自己表現がヘタな彼にイライラしていた。
そしてちゃんと彼の芝居を見るのはこの映画が初めてだったかも。
いや〜ビックリ。
だってかっこいいんだもん。
一緒に見に行ったAさんなんか完全にノックアウトされてた。
そして彼の演技には心揺さぶられたよ。うまいんだね、オダジョー・・・。(知らなかったよ・・。)
そして香川照之
うまい!
ラストシーンの笑い方なんてなんともいえない。
でも一番心に響いたシーンは夜中に洗濯物をたたむ香川の後姿。
あの後姿で、稔がどうゆう風に育ってどうゆう生活を送っているのかがわかった。
ほんと役者さんたちイイです!
キム兄(検事役)は「いつ大阪弁になっちゃうか???」と落ちついて見てられなかったケド。
個性派の田口トモロヲさんが個性を発揮せず普通の裁判官を演じていたのはすごかったな。
真木よう子は美人なんだけど、映画女優さんをするなら肌のお手入れを頑張らないといけないのでは・・???と余計なお世話なことを思ったりもしたよ・・・。(アップになるならなおさら・・・。)


とにかく「ゆれる」は心揺さぶられる一本でした。