6年前の今日、りんりんが2640gで生まれました。
それはそれはハニ夫の父にそっくりなかわいい女の子。(泣)
初乳をあげたときに「ハ、ハニ夫の父に乳吸われてるみたいだぜ・・・」とブルーになったことはおいといて、なんとも出産を終えた達成感がありました。
妊娠8ヶ月まで新宿へ仕事に通い、特になんの心配も不安もなく快適な妊婦ライフ(出産予定日にお台場に遊びに行っていた女です・・ハイ。)を送っていた私にとって、あの『難産』は想定外・・・。
陣痛が始まったのが18日の夜。出産が21日の早朝。
その間ずーーーーと痛さで寝れず!
二日半、陣痛に苦しんだ。
陣痛が10分間隔になって病院に入院もしたけど、一日いただけで家へ帰され、次の日に間隔が7分になったところで再度入院。
それでも一向に生まれず。
そして陣痛中に突然手の感覚が無くなり、指がひん曲がってしまった!
なんと「ヒ〜ヒ〜フ〜」の呼吸のし過ぎで過呼吸に!
酸素マスクをされながら陣痛に耐えるわたし・・・。
隣では看護婦さんがひん曲がった私の指をマッサージしてくれた。
顔はロッテンマイヤーさんみたいに怖そうだったけど、なんとも優しい看護婦さんだったな。
母は一応腰をさすってくれたりしたが、母と部屋に二人きりだったとき、陣痛に耐えられず「お、お母さん・・看護婦さん呼んで・・・。ナースコール押して!」の私の必死のお願いに、「わ、わかった!」と、部屋の隅に行き、「バチッ」と部屋の電気を消したり(部屋が真っ暗に!!こんなときにボタン間違うなっ!)、陣痛に苦しむ私の横で、病院が出してくれた私の夕飯をしっかり完食していたりと、こんなときでもマイペースだった・・・。
結局お腹の赤ちゃんに酸素が十分にいかないくらい私が衰弱してしまったので、急きょ「硬膜外麻酔」をすることに。(硬膜外麻酔についてはコチラ→無痛分娩
そんな便利なものがあるなら最初から無痛分娩にしとけばよかったよ。
でもこの硬膜外麻酔は技術的に難しいらしい。失敗したら下半身不随?
手術室に入り、お腹の大きな私がステンレスの台の上に真っ裸で寝かされ、しかも横向きにって・・・子持ちししゃも?
でも一刻もこの陣痛地獄から逃れたい私はどーでもいいからとっととやってくれ!ってかんじだった。
なーのーにー、看護婦たちがバタバタと、「だんなさんがいない!」「だんなさん見なかった?」と右往左往!
どうやらだんなのサインがないとこの麻酔は受けられないらしい。
が、ハニ夫が行方不明!
10分後、白い帽子に白い上着を着せられ、「北朝鮮の核施設の職員」みたいな格好で手術室に現れたハニ夫。
「おせーよっ!」と思ったが、所詮私は真っ裸の子持ちししゃも。・・・言うのは辞めといた。
無事に硬膜外麻酔が済み、陣痛が起こっていながら熟睡できた。
麻酔が切れてまた痛くなってきても、看護婦を呼んで背中のチューブからまた麻酔を足してもらえば、あ〜極楽極楽。
数時間後、「もう赤ちゃん出てくるから分娩台に乗りましょう。」と助産師。
麻酔が切れかかってたけど、痛さはあんまり感じなかった気がする。
イキんだり、休んだりを少しくりかえし、吸引分娩でやっとりんりん登場!
フヘ〜〜〜長かった・・・。
ちっさいりんりんとご対面。声をかけたら泣き止んで、つぶらな瞳でじーーーと私のことを見つめ返してたな〜・・。
と、幸せに浸っていたら、仕切りの向こうでは次の妊婦が「出ちゃうー出ちゃうー!!ウ○チも出ちゃうー!」と叫んでいた・・・。
「いいのよっウ○チ出ちゃってもー!」と叫び返す助産師・・・。
お産って人それぞれだよな・・・。
6年前のことでもちゃーんと覚えてるあの日のこと。
何事もなく無事にこれたことに感謝。
お誕生日おめでとう、りんりん。





生まれた時の純粋な気持ち忘れて、明日からまた怒鳴って怒ってると思うけど。



生まれて二時間のりんりん。


ゲップ中。小さい背中〜。


ホッ。だんだんハニ夫の父似じゃなくなってきたぜ・・・。


成長中。


愛らしい♪(←親バカ)